2012年1月18日 (水)

面接委員 出直し後押し (2) -- 矯正の現場 (15)

 
(前の記事からの続き)

 刑務官を退官後、 篤志面接委員を務めてきたHさん (68) は、

 数年前に面接した 10人の受刑者のことが 忘れられません。

 10人は全員、 刑務作業を拒否し、 独房から出てきません。

 「作業拒否で 仮釈放がなくなっても構わない。

 どうせ出所しても 仕事はない。

 犯罪する以外に ないじゃないか」

 作業拒否で 懲罰を受けた受刑者は 年々増加しているといいます。

 ボランティアで 受刑者の更生を手助けする 篤志面接委員は、 現在約1800人。

 60才以上の人が 7割以上を占めます。

 リタイアした人でないと 平日の活動は難しく、

 若い受刑者に見合った年齢の 面接委員の確保は進みません。

 Kさんは、

 「今後も受刑者の思いを 素直に受け止め、 共感していきたい」 と 語りますが、

 「反省が深まらない 受刑者が増えている」 とも 感じています。

 「立ち直りたいという 出所者の思いに 手を貸す人が、 社会の中で少ない」

 とも思います。

 「このままでは 再犯が繰り返され、

 いずれ刑務所は 立ち行かなくなるのではないか」

 そんな気がしてならない と言います。

〔 読売新聞より 〕
 

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2012年1月15日 (日)

面接委員 出直し後押し (1) -- 矯正の現場 (14)

 
 教誨師 (きょうかいし) であり、 篤志面接委員でもある、

 住職のKさん (69才) は、

  ある刑務所で 所内限定の音楽トーク番組を、 月1回放送しています。

 「故郷」 「恩師」 「涙」  ……。

 毎月テーマを決め、

 受刑者が 200字以内の短文とリクエスト曲を、 ペンネームで書いて出します。

 Kさんは めぼしい文を紹介しながら、 曲を流します。

 「その気持ちを 立ち直る力に変えましょう」

 と、受刑者に語りかけます。

 ある夜の放送は、  「母の思い出」 がテーマでした。

 数日後、 傷害事件で 3度目の服役中の受刑者が、

 面接を申し込んできて、 涙ながらに語りました。

 「失明したあとも 食事を作ってくれた 母のことを、 誰かに聞いてほしくなった。

 母を裏切り、 葬儀にも出られなかった私が、

 今さら反省しても 遅いでしょうか?」

 「今の気持ちを忘れなければ、 出直すことは いつでもできるんだよ」

 半年後、 この受刑者は 仮出所が認められました。

 「番組が始まると、 けんかや言い争いもやみ、 所内は静かになった。

 『よし、 頑張るぞ』 と 前向きになれた」 と、 ある服役男性は振り返ります。

 この男性は 出所から20年後、 たまたま Kさんの寺の番号を知り、

 電話をかけました。

 男性は ヤクザから足を洗い、 福祉の仕事に携わっていると  報告しました。

 「そうか、 そうか」

 Kさんの 懐かしい声が喜んでくれました。

(次の記事に続く)

〔 読売新聞より 〕
 

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2012年1月14日 (土)

面会・ 手紙 支える家族 -- 矯正の現場 (13)

 
 70才代の女性の息子は、 強盗殺人罪で無期懲役となり、 10年が過ぎました。

 女性は毎月、 新幹線で5時間かけて上京し、 息子に面会を続けています。

 息子は 日々の刑務作業の話などをしますが、

 事件や被害者遺族の話は ほとんど出ません。

 毎年 被害者の命日に、 女性は 遠方の遺族宅を訪ね、

 その時の様子を 息子に手紙で知らせています。
 

 強盗傷害で懲役10年の刑に 服した男性は、

 数ヶ月に一度の 母親の手紙を励みにしていました。

 老いた母は、東北地方で畑を営み、面会には来られません。

 〈家に必ず帰ってきてください。 待っています。〉

 刑務所の規則で、 読み終えた手紙は 刑務所に預けなければならなかったため、

 手紙の文章を一字一字、 ノートに書き写しました。

 辛いときは ノートを手に取り、

 「ここで踏ん張らなければいけない」  という気持ちになるといいます。

 母親はその後、 胃がんで亡くなりました。

 「それまでは、 ただ早く出たいと 思うだけでした。

 お袋を失ってからは、 真人間になって 社会復帰し、 墓に参ろうと誓いました」

 男性は 母親が送ってくれたお金で、 電気技術の本を買って勉強し、

 仮釈放後、 電気工の仕事に就きました。
 

 親族らとの 面会や手紙のやり取りは、 06年から 従来の2倍の

 「月2回の面会、 月4通の手紙の発信」 が 保障されました。

 矯正に支障がないと認められれば、 友人や恋人との 面会も許され、

 受け取った手紙も一定量まで 手許に保管できるようになりました。

 家族らの支えを より強くして、 社会復帰への環境を整え、

 更生の意欲を高める 目的だといいます。

 冒頭の無期懲役囚の母親は、

 息子から初めて  「遺族に お詫びの手紙を書きたい」 と 言われました。

 遺族は  「お母さんに免じて 受け取りましょう」 と伝え、

 息子はすぐ 封書を送りました。

 女性は、  「自分が息子を支えるのは、 遺族にとっては許しがたいのではないか」

 と 後ろめたさを感じています。

 一方で こうも考えます。

 「せめて 私が面会に行けるうちは、

 息子に 償いの気持ちと 出所への希望を 失わせないようにしたい」

〔 読売新聞より 〕
 

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2012年1月13日 (金)

被害者の苦悩と向き合う (2) -- 矯正の現場 (12)

 
(前の記事からの続き)

 各地の少年院で、 少年に 被害者の心情を考えさせる 取り組みが広がっています。

 犯罪被害者を講師に招いて 体験談を語ってもらうほか、

 被害者の手記を読ませて 感想文を書かせたり、

 被害者の立場に立って、 加害者である自分あての 手紙を書かせたりするのです。

 多くの少年は、 何とかしないと 今後の人生もだめになると 焦っています。

 被害者の視点は、

 心の底にある 更生したいという気持ちに気付く きっかけになりやすいといいます。

 少年らによるリンチで、 15歳の長男の命を奪われた T子さん (55) は、

 少年院を訪ねて 被害者遺族の気持ちを伝えています。

 我が子を失った悲しみ、 同じ思いをする人を 増やしたくないという思い。

 聞いていて 涙を流す少年もいます。

 長男は生前、 非行に走った時期もあったが 立ち直った、 ということも必ず明かし、

 「あなたたちもやり直せる」 と 語りかけます。

 Tさんに、 少年院から 少年たちの手紙が届きました。

 〈自分の事件の被害者も、 Tさんと同じ思いなのかなと 思いました〉

 〈何とか再犯しないよう 頑張りたい〉

 Tさんは、  「この子たちは更生できるかもしれない」 と 感じます。

 加害者の元少年は、

 「社会に出た後も、 被害者の気持ちを ずっと考えていくのが、

 僕の責任だと思っています」 と 話しました。

 その言葉を聞いた 被害者の妻は言いました。

 「すごく嬉しいです。

 でも、 少年院を出てからが 本番だと思っています。

 だから、 今はまだ 私の心は動きません」

〔読売新聞より〕
 

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2012年1月12日 (木)

被害者の苦悩と向き合う (1) -- 矯正の現場 (11)

 
 家庭裁判所の審判廷。

 19才の加害者少年は、 56才の男性に言いがかりを付けて、

 殴る蹴るの暴行で 意識不明にし、 3ヶ月の重傷を負わせました。

 前方に、 両親にはさまれて 長椅子に座っている、 少年の背中が見えます。

 被害者男性の妻 (49) は、 少年の背中に向かって 意見陳述をしました。

 「今は回復したとはいっても、 まだ元のように 仕事ができるわけではありません。

 主人の大切な時間を 返してください」。

 「謝罪はいりません。

 心から反省しているかどうかは、 これからの生き様で 見せてくれたらいい。

 私はしっかり見ていますから」

 少年院に収容された少年は、 担当教官と交換する ノートに綴りしまた。

 〈審判の時、 被害者の方の奥さんが来て、

 僕は凄いことを言われるんだろうなって 思っていました。

 でもその方は  「あなたが奪った時を 返してください」 と言われました>

 教官から返事が返ってきます。

 〈これ程大きな発言はない。

 それだけ奥さんも つらかったということです〉

 半年後、 少年は 父親を病気で亡くします。

 最期の8日間、 意識不明の状態が続き、

 被害者の妻の  「時間を返してほしい」 という言葉が 頭に浮かびました。

 「自分と同じように、 意識が回復するのを待ち続けた 奥さんの苦しみを思い、

 事件を初めて 心から後悔しました」

 少年はそう振り返りました。

(次の日記に続く)

〔読売新聞より〕
 

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2012年1月10日 (火)

少年院  指導名目に 「泣かす」 (2) -- 矯正の現場 (10)

 
(前の記事からの続き)

 広島少年院はその以前、 規律が大きく乱れました。

 新任の職員は なめられて指導できず、

 少年たちは 好き勝手にやっている状態でした。

 職員に  「あのような時代には 絶対に戻りたくない」 という意識が、

 根強く引き継がれていたといいます。

 法務省が 全国の少年院の職員に 行なったアンケートでは、

 過去に暴力行為などの 虐待をしたことがあるという回答が 1割ありました。

 元法務教官は、

 「暴力に頼るのは論外だが、 少年院では 施設の秩序維持のためには、

 少年たちを 厳しく統制せざるを得ないと 考える傾向がある」 と指摘します。

 ある法務教官は、 一人の少年のことが 忘れられません。

 交際相手を巡り トラブルになった男性に 激しい暴行を加えた少年は、

 「被害者は自分だ」 と 教官に食ってかかるだけでした。

 しかし、 時には個室で生活させ、 他の教官も含めて話すうち、

 家族がアルコール依存症で、 暴力を受けて育ったことを 語り出します。

 「被害者にどうやって 謝ればいいでしょうか」 と

 相談してくるまでになったのです。

 「力で抑え込んでも、 問題の根本は解決しない。

 大切なのは、 自分を受け入れてくれる 人がいると、 少年に知らせること」

 この法務教官は 今もそんな思いで、 少年たちと向き合っています。

〔 読売新聞より 〕
 

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2012年1月 8日 (日)

少年院 指導名目に 「泣かす」 (1) -- 矯正の現場 (9)

 
 「やってはいけないことだとは 分かっていました。

 犯罪にあたるという 認識はありました」

 広島少年院のN法務教官は、 18人の少年に 24件の暴行を加えたとして、

 特別公務員暴行陵虐容疑で起訴されました。

 同少年院では他に、 法務教官3人と元首席専門官も 同罪に問われました。

 広島地裁はN被告に 懲役2年6月の実刑を言い渡します。

 「陰湿で卑劣な 加虐行為以外の何ものでもなく、

 指導の延長線上の行為として 是認することなど到底できない」
 

 少年院は 刑罰を科すのではなく、 少年に矯正教育を 授ける場です。

 少年たちは 寮生活を通じて 社会性を身に付け、 職業訓練などを受けます。

 しかし 広島少年院では、

 「泣かす」 「つぶす」 という言葉が 教官の間で交わされていました。

 「寮の生活に従わせるために、 怒鳴りつけて泣かす。

 口で言ってダメなら、 暴力をふるった」 と N被告は明かしました。

 少年と教官の 力関係を分からせることを  「泣かす」 と言いました。

 規律違反を繰り返す少年には 殴るだけでは限界があると思い、

 全裸にするなど 精神的にも追い詰めました。

 「殴った少年の 痛そうな表情を見ると、 やっと懲りたなと感じた。

 彼らに 心の底から反省させるには、 手を出すことを必要だと 信じていた」

 一方、 N被告に殴られた少年は、

 「何で自分が殴られなければいけないのか、 全く分からなかった」 と 言います。

 「少年院に入って、 自分のためになったことは 何もなかった」

 少年は院を出たあとも 精神的に不安定な状態が続き、 精神安定剤を手放せません。

(次の記事に続く)

〔 読売新聞より 〕
 

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2012年1月 7日 (土)

12回入所、 「反省の場」 遠く (2) -- 矯正の現場 (8)

 
(前の記事からの続き)

 古い構造の女子刑務所では、 雑居房と廊下が 引き戸で仕切られているだけで、

 刑務官の巡回のすきを見て、 違う部屋の受刑者と 互いに行き来して話ができました。

 刑務所内で 出所後の連絡先を教え合うことは 禁じられていますが、

 テレビで料理の手順を メモする時に、 材料の分量を 電話番号に書き換えておけば、

 刑務官に見つかることは まずありません。

 女性受刑者は、 教誨 (きょうかい) を受けましたが、

 「お釈迦さまの話は 私たちの罪とは関係ない」 と思いました。

 教材として 助産師などのドキュメントを見ても、

 「それで 窃盗をやめなければと 思えたことは一度もなかった」。

 2006年から、 受刑者に矯正教育を行なうことが 義務づけられました。

 ただ、 窃盗は 犯行までの事情が 受刑者ごとに異なるため、

 一定のプログラムがなく、 各刑務所が試行錯誤を続けています。

 窃盗の受刑者を対象に 勉強会を始めた刑務所では、

 8人ずつのグループで、 どうすれば盗みをしなくてすんだかを 考えさせます。

 罪を悔いる 発言は多いですが、 再犯者を何人も見てきた 矯正処遇官は、

 「彼女らの本心を知るには 限界があり、 態度が良くても 安心しきれない」

 と話します。

 刑務作業を 安全に進める心得を 書くように求められた時、

 ある受刑者は、 別の受刑者に考えさせた文章を 書き写して提出。

 その文章は 模範的な作品として、 工場に向かう廊下に 張り出されました。

 多くの受刑者は、

 何とかうまく 刑期をやり過ごすことだけを 考えているといいます。

〔 読売新聞より 〕
 

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2012年1月 6日 (金)

12回入所、 「反省の場」 遠く (1) -- 矯正の現場 (7)

 
 「累犯部屋」。

 更生保護施設にいる女性 (64) が、 過去に入った 刑務所の部屋は、

 仲間内でそう呼ばれています。

 女性は 5ヶ所の刑務所に 計12回入所しましたが、

 そのうち4ヶ所では、 罪を重ねた受刑者を 同じ部屋に収容していました。

 「覚せい剤やらない?」  「空き巣は面白いよ」。

 「殺人以外の ほとんどの犯罪の誘いが 飛び交っていました」 と、

 女性は振り返ります。

 30年前、 万引きなどで3回目の服役中、

 累犯部屋で すり常習犯の受刑者と知り合いました。

 出所後、 この人物に すりの手口を教えられ、 やめられなくなりました。

 回を重ねるにつれ、 出所から次の再犯までの 期間は短くなりました。

 「今度こそやめる?」 と、 面会に来た母親から 尋ねられても、

 うなずくことができません。

 母親は 9回目の服役中に他界。

 身元引受先になっていた子供も、 11回目の入所以降、

 音信不通になってしまいました。

 「私にとっての刑務所は、  『もうあんな所に行きたくない』 と、

 犯行を思いとどまらせるものではなかった」 と 女性は言います。

 「過ごしにくいという訳でもなく、

 刑務所というより 学校か会社の寮みたいな 感じの所もあった」 と。

(次の記事に続く)

〔 読売新聞より 〕
 

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2012年1月 4日 (水)

交通刑務所は 「開放的」 -- 矯正の現場 (6)

 
 交通犯罪の刑務所は、 分厚いコンクリートの壁はなく 大人の背丈ほどの金網で、

 鉄格子もありません。

 家族との屋外面会所は 木立に囲まれ、 オープンカフェのようです。

 一般の刑務所より 規則が緩い、  「開放的処遇」 が行われています。

 快適そうな環境で、 被害者や遺族の苦しみを 考えることができるのか、

 ある遺族は疑問をぬぐえません。

 受刑者は刑務作業以外に、 交通安全や断酒の 指導を受けます。

 「開放寮」 では、 寮生活のルールを決める 寮委員が選出され、

 視聴するテレビ番組も 受刑者自身が決めるのです。

 自分の責任で行動するのは 逆に辛い、 と言う受刑者もいます。

 そういう人も トラブルなく刑期を終えると、

 自信を持って 社会に戻れるというのが、 開放的処遇の意義だといわれます。

 一方、 事故とはいえ、 他人の命を奪った人への 処遇としては甘い、

 という意見もあります。

 出所後の心構えの講義でも、 脇見やあくびをする姿が 目に付きました。

 犯罪を犯したという 認識に欠けた人が 多いことも否めません。

 制限速度を70キロも超えて 対向車と正面衝突し、 相手の命を絶った加害者は、

 「被害者に恥ずかしくない 日々を送ろう」 と 決心して入所しました。

 枕元には 被害者のお墓の写真を 置いていますが、

 厳しく注意されることのない 日々を、 楽に感じてしまうことも あると言います。

 交通刑務所には 被害者を供養する 「つぐないの碑」 があり、

 「あやまちを反省し、 社会人として立ち直ることを 誓います」

 と刻み込まれています。

 出所前に受刑者は、 この文章を大きな声で 読み上げるのが習慣です。

〔 読売新聞より 〕
 

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